筆録帳
一月二六日
鍼の効く人効かぬ人
あはき師がこれを言うかというタイトルですが、
日々診ているとなんとなくその差を感じるようになります。
効くというのはあくまでも受けている側の意識でしょうから
少し私視点の表現として改めると流れていく、通じていく、響いていくこんな感じです。
逆の場合もあります。
私が電気エネルギーそのものだとしたら行く手を阻むものに遭遇したとき、
これを絶縁体と認識するのだろう そんな感覚を覚えるときもあります。ボールを投げたはずなのに、
落ちた先が見えなくて落下音の反響も聴こえないといった具合です。
(だからといって施術に意味がなくなるということではないのですが これはまたの機会に綴ります)
なにも鍼灸に限った話ではありません。
あらゆる施術、たとえばマッサージなどの手技療法でもいいし、
セラピーとか、ヒーリング、この類も受けるのが上手な方というのは、
武術などの身体操作における受け身もきっと得意でしょうし、内服も必要最低限に活かすでしょう。
同じ仕事をしていてもストレスを抱えていないように見られるかもしれません。
美容室に行ってもシャンプー台で頭さえ施術者に任せられないとかえって疲れますから。
横になっているだけでいいのに、手足から頭から何からベッドに預けられていない方、結構多いですよ。
そうである身体、そうでない身体に共通する点があるのではないかとずっと答えを探していました。
ところで水を注ごうとする行為は、受け取る器に欠けやヒビがなく、そして深さがあって成立するのです。
まるで大きさの違うシンギングボウルのように共鳴し合い、
ただ一方から注ぐだけでなく、中身を混ぜ合わせたり、誰かに受け取ってもらえるほどに溢れさせたりしたいじゃないですか。
いつだって修復可能な器なので、塩梅に合わせて注ぎつつ、
効く人効かぬ人 その境界をなくすことも施術の意義と考えています。
経験上、鍼が効くようになるとなんでも“いいとこどり”できるようになりますよ。
結局なにが両者を分けるのかって?
ふふ、また読みに来てください
では